大友氏のココがすごい! 国際貿易都市・府内の盛栄

16世紀の豊後府内(大分)は、我々の想像をはるかに超えて活気づいた町でした。そして大分が「日本ではじめて」とされるものが非常に多いのです(例 参照)。これは大友時代、府内の町が、日本国内で極めて早い時期に、東洋文化と西洋文化がダイナミックに交わった場所であるからです。

(例)ボランティア精神発祥とその活動、西洋音楽会、演劇、西洋式病院・孤児院の建設・運営、外科手術、大砲の所持と使用、鉄砲大量生産、西洋への留学生派遣、打ち上げ花火、カボチャ、カステラほか

400年続いた大友氏…魅力ある武将を数多く輩出

豊州大友氏は、鎌倉時代はじめから400年もの長きにわたりその統治を継続してきました。そのため鎌倉時代の頃におきた「武士の教え」「武士道」というものをしっかりと継承した名門中の名門です。もっと全国に知ってもらいたい伝説の武将たち(女武将も)がたくさんいます。

大友 宗麟

九州を一つの国と考え、世界と対峙したスケールの大きな文化経済人。
戦国一の南蛮大名

立花 道雪

部下の誰もが命を預けた鬼武将。九州No.1の戦国武将と言えばこの男

高橋 紹運

実の息子・宗茂を助けるため命を捨てた闘神

立花 宗茂

二人の父の教えを全うし、義と理を貫いた風雲児。
改易から見事奇跡の返り咲きを果たし大名大友の血を引き継いだ最後の砦

この他にも魅力ある人物、武将がたくさん!